田丸美寿々

Jオピニオン


06

田丸 美寿々 (Tamaru Misuzu)

ニュースキャスター

 


インタビュー[2008/03/11]

女性とテレビジャーナリズム

 ニュースのインパクトでいえば、テレビの力は大きい。定時のニュース番組から朝・昼のワイドショー、情報番組まで、競ってニュースを素材にしている。玉石混淆にみえる番組のなかで、良質の調査報道番組として知られるのが「報道特集」(TBS系)である。そのキャスターを務める田丸美寿々さんには、ジャーナリズムコースのオムニバス授業「ジャーナリズムの使命」で講義をしていただく。フリーのキャスターとして活躍する田丸さんに、「女性とテレビジャーナリズム」についてインタビューした。(聞き手は瀬川至朗・早稲田大学教授、写真撮影はカメラマン、藤吉隆雄氏)

瀬川
 田丸さんがフジテレビに入社されたのは1975年でした。入社当時、報道現場で女性はどのように扱われていましたか。それに対する田丸さんの挑戦はいかがでしたか。

田丸
 どのようにといわれても、当時は女性そのものの姿が報道現場にありませんでした。女性の記者もいなければ、カメラマン、キャスター、ディレクターもいませんでした。ただ、午後3時の奥様ニュースで生活情報を読む女性アナウンサーはいましたから、その方が今でいえば女性キャスターなのかもしれません。とにかくニュースを取材したり、ニュースに近い距離でかかわったりしている女性はいませんでした。
 私は入社したときニュースをやりたいと思っていました。しかし、ニュースをやっている人はみんな、男の世界だと自負していましたから、女が入るということに、相撲の土俵に女が上がるぐらいに拒否反応とか嫌悪感を示す人がいました。
 女の声でニュースを読んだって信憑性がないとか、女のくせにニュースをやりたいのは生意気だとか・・・。ネガティブな反応ばかりでした。
 それでも言い続けることに意味がある。「継続は力なり」だと思います。現場に連れてってほしいとか、ニュースやりたいとか言い続けているうちに、少しずつ理解してくれる味方や先輩ができてきて、応援してくれるようになりました。チャンスも少しずつ与えてくれるようになり、入社4年目でようやくニュース番組にかかわれました。今思えば、あの時代があったから、私は今こうして続けられていると思うんです。
 ちょうど女性に報道現場の門戸が開かれる過渡期に入社したんですね。もっと前だったらそんな重い扉はとうてい開かないと思って辞めていたかもしれないし、もっと後だったら、すごい先輩たちがたくさんいて、私なんか入り込める余地がなかなかなかったかもしれません。70年代から80年代はちょうど女性の時代といわれ、報道に限らず、いろんな分野で女性がかかわっていくところが広がっていって、毎日がすごく新鮮でした。今日できなかったことが明日できる、今日会えなかった人に明日会える、今日行けなかった現場に明日行ける――とか。日々開けていく感じで楽しかったです。
 一晩中張り込んだりもしました。女だって粘るじゃん、女だって現場に行ってやれるじゃんと少しずつ思ってもらえるようになりました。そのうち、記者でもカメラの世界でもガッツのある女性が少しずつ出てきて、やらせてみたらとなってきました。そういっては何ですが、女性ってハングリーだから、がんばるんですよ。
 私はあの頃、「男のように考え、レディーのように振る舞い、犬のように働け」というアメリカのキャリアウーマンのスローガンが好きで、私の仲間たち、友達といつもこの言葉を繰り返しながら、がんばっていましたね。
 最初の扱われ方は確かにひどかったし、今でいえばセクハラもいいところの職場でしたが、それが少しずつ変わっていきました。量の変化は質の変化にもつながりますよね。少しずつ女性のかかわる範囲が広がってきて、女性が活躍する場が広がってきて、どんどんやっていく仕事の質も上がってきて。ですから、すごくワクワクした時代でしたねえ。とくに80年代は。

瀬川
 自ら切り開いていったのと同時に、時代もあったということですね。

田丸
 時代もありましたねえ。ちょうど80年代って、男女雇用機会均等法が85年。それに合わせて女性たちもどんどん職場に進出していきました。社会が女性を無視できなくなった。最初は組織も企業も、女性を最前線で使うことがファッションでした。女性初の管理職、女性初の判事、憲政史上初の女性党首、女性初の官房長官とか、政治も企業も女性初を売りものにしていました。女性の起用がファッションだったですね。
 それが90年代から2000年ごろになると、女性をある地位に就けることはファッションでもトレンドでもなくなりました。当たり前のことになり、今度は女性が真価を問われることになりました。女性であれば話題性があった80年代から、今はプロとしてどれだけのことを見せられるかだと思います。昔は希少価値だった分、何かやると「女のくせに」の一方で「女性なのにがんばっている」と、逆転して、いい評価を与えられました。女であることをあまり損だと思ったことはありません。現場に行くと、当時女性が少なかったので、マイクを向けるだけで、取材を受ける人たちは、女性のマイクに向いて答えてくれるんです。女性が希少価値であるときは、現場でも嫌な思いより、得な思いをした方がもしかしたら多いかもしれません。今は女性陣が何をするかが問われますから、むしろ厳しい時代なのかもしれませんね。

瀬川
 田丸さんは現役で「報道特集」のキャスターをやっておられます。2008年4月からは「報道特集NEXT」という名前で放送が毎週土曜日に移り、時間も80分に拡大されましたね。

田丸
 おかげさまで。最古参でやっております(笑)。

瀬川
 現在のテレビジャーナリズムについて、公共性の観点からどう見ていますか。私見では、テレビの影響力は大きいが、視聴率競争の中で、興味本位のものがどんどん増えているようにみえます。報道特集のような良質の番組は別にして、全体の質はどんどん落ちている印象を受けますが。

田丸
 フジテレビでニュースをやっている頃は、まだまだテレビジャーナリズムはなかった。確立されていませんでした。新聞や活字ジャーナリズムの情報をもらって、映像を付けているだけ。キャスターだって新聞社から来ていて、新聞社の子会社みたいでした。活字ジャーナリズムがまだまだ優位で、活字の人から教えてもらうということでした。
 それを考えると、テレビの影響力とはいわないが、影響度は活字をしのぐほどになってきているのではないでしょうか。テレビジャーナリズムは屈辱を乗り越え、活字ジャーナリズムの呪縛から解き放たれたと思います。
 エポックメイキングだったのは、磯村尚徳さんのニュースセンター9時(NHK)でした。キャスタージャーナリズム、テレビジャーナリズムの最初であり、それをアップグレードさせたのが、久米宏さんのニュースステーション(テレビ朝日系)だったと思います。あのあたりから、活字ではない、テレビを通じてどう報道していくかというスタイルをやっと見つけた、確立したといえます。それまでは、テレビニュースは視聴率もとれず、そこから何かを得ようというより、まともな情報は新聞で得ようという時代でした。
 テレビにおけるニュースの手法が確立されてから視聴率も少しずつ上がっていきました。時間枠が長くなるとともに手法や演出が確立されていく。するとスポンサーがつき、制作予算も上がるという良い循環で、テレビの報道番組がどんどん充実していきました。
 しかし、充実すると今度は視聴率をとるための競争をするようになります。そうなると、センセーショナリズムに走ったり、誇張した表現を使ったりするものがでてきます。スーパーインポーズが大きくなって番組がだんだん派手になり、ときどき、ウラを取らないで誤報を出したり、下手をするとやらせという問題が起きたりします。
 ただ、全体的には必ずしも悪い方向には行っていないと思います。競争する中でいいものが残っていくと思うし、それは視聴者が選び取るものですから。ずいぶんといろんな番組が淘汰されてきました。今も残っている番組は「報道特集」をはじめ、視聴者が信頼してくれているものです。テレビというメディアの中の一つの確立された番組だと思います。

瀬川
 「報道特集」のような番組が続いていることは大変良いことだと思いますが、残念ながら全体として数は多くありません。むしろ主流はワイドショー的なもの、情報番組が中心で、報道番組と言えるものは少ないと思います。

田丸
 そうですね。調査報道検証番組となったら本当に少ないですね。「報道特集」ははっきり言ってバラエティ番組のような視聴率はとりません。その代わり人手もかかるし時間もかかる。訴訟になる可能性もあるし、テレビ局としては常にリスクを抱えています。コストパーフォーマンスの悪い中で、訴訟リスクを抱えながらやっていく。やせ我慢してでも、この番組を、このジャンルを続けていく。利益だけを追求する企業であれば、とうに切り捨てられるところだと思います。「報道特集」のような報道番組を続けていくことは、ある意味、テレビ局の経営哲学、経営理念の問題だと思います。

瀬川
 日本は企業ジャーナリズムが主流です。その中で、田丸さんは、フジテレビを退社後、長くフリーの立場で報道に携わってこられました。フリーのジャーナリストあるいはキャスターとして働くときのやり甲斐、あるいは難しさをどのように感じていますか。

田丸
 個人的にはフリーで仕事をしていくのは、かっこよくいえば自分で番組を選べるわけです。嫌な番組は断ればいい。嫌な上司のいる番組には行かなければいい。自分に合った仕事を選んでいけるという意味では、すごくラッキーだと思います。だけど、こちらも選ぶけど向こうも選んでくれないと仕事がないわけで、いつ飢えるかわからない。保証はないわけですから、厳しいことは厳しいです。フリーの良さは局のコンセプトに縛られないですむということ。この事件について我が局のスタンスはこうなのでこうコメントしてくださいと押しつけられても、それが嫌であれば、自分の責任で自分のコメントをしていいと思っています。その意味で局とは緊張関係がある。フリーという仕事の仕方は凄く気に入っています。
 一方で組織ジャーナリズムに頼っている今の日本の現状が良いかどうかは別です。
 イラク戦争やアフガンにはフリージャーナリストしか行かなくて、しかも、彼らを局が派遣したとなると局の責任が発生するので、彼らが撮ってきたものを局が買う。必要なときにはフリーの人にリスクを負わせて頼る一方で、必要としないときは見て見ぬふりをします。すごく勝手気まま、ご都合主義のジャーナリズムだと思います。企業は責任を取りたくないだけで、生命をかけているわけではない。フリーの友達たちの苦悩をみているし、生活するのも大変だということもわかっている。今もパレスチナをやっている人はいますが、視聴者が観ないからという理由で買う局がない。どんどん発表の場が狭くなっています。
 ただ、お金をかけないとできない取材もたくさんあるので、企業がバックアップしてジャーナリズムをつくるメリットもなくはないのではと思います。日本は、企業ジャーナリズムである分、安定したジャーナリズムであることは確かです。質がそれほど違わないというか、間違ったことはそれほどない。日本のキー局、一般紙ともにレベル的には世界でかなり高いところにあると思います。
 ただ、ジャーナリズム本来の姿からいえば、企業ジャーナリズムによって立つのは決してカッコイイ話ではないと思います。
 日本のメディア企業の仕組みでおかしいと思うのは、専門性をもっていてまだ記者としてやる気があるのに、ある年齢になると当然のように内勤になったり、デスクや管理職になったりする。そのシステムを止めて、部長の年齢になっても番組を作りたい人は作るとか、ジャーナリストがいつまでもジャーナリストでいることができるシステムがあっていいのではないかと思います。報道機関は企業といっても普通の企業とは違うんだから、もっと違う体制があっていい。部長も局長もそんなに多くなくていい。上に立って責任を取る人が何人かいて、現場の記者が多くいればいいと思います。
 すごく優秀なジャーナリストがいっぱいいるじゃないですか。テレビだっています。もったいない。あの人はいま経理にいるのって。上とけんかするとそれだけで・・・

瀬川
 いまはジャーナリストというより、新聞「社員」とかテレビ「局員」というイメージが強い。毎日新聞記者、朝日新聞記者とか、どうしても企業名が付いてしまう。重要なのは、一人のジャーナリストとしてやれるかどうか。社の立場を超えて学ぶ場が必要です。早稲田のジャーナリズムスクール(ジャーナリズムコース)では、専門性を持ったプロフェッショナルな記者を養成します。個人として自立したジャーナリストを育てるつもりです。企業に入るにしても、中からジャーナリズムを強くしていくような人材です。田丸さんには講師として、2008年度前期のオムニバス授業「ジャーナリズムの使命」でお話をしていただきますが、早稲田のジャーナリズムスクールをどう思いますか。

田丸
 本当は、私自身が学生として学びたい気持ちでいるのですが。いま改めて学ぶのも楽しいのではないか。ジャーナリズムを体系的に学ぶことは大事だと思います。ただ、逆説的に言うとジャーナリズムは勉強すべきものではなくて、その人の五感すべてを動員して、これはどういう話かを感じ取っていくものなんですね。しかし、いま大変厳密になってきているプライバシーとか、この種の事象についてはこんな取材の判例があるとか、人権意識とか、伝える手法とか、そうした点は学んで基本を押さえておかないと大きく間違えることがあると感じています。
 私も最初は自分の興味の赴くままに仕事をしてきたのですが、ここに至るまでのジャーナリズムってどういう歴史をたどってきたのだろうと、そういうことを知りたくなりました。学ぶことはジャーナリズムの大切さを改めてかみしめることにもつながります。こういうコースがちゃんとないといけないですね。
 ジャーナリストとしての一歩を踏み出す前だけではなくて、私のような人が、もう一度学びに来るような、そういう出たり入ったりのコースがあったらいいかなあと思います。
 私の授業では、テレビジャーナリズムの現場がどう変わってきたかを私なりの経験から話をしようと思っています。ジャーナリズムスクールの学生はテレビジャーナリズムの揺りかごの時代を知らないと思うので、その頃のことを女性の立場を含めてお話しできればと思います。今までしてきた経験が、皆さんのお役に立てればいい。双方向でやっていきたいと思います。

瀬川
 ジャーナリズムを学ぶ学生に伝えたいことは。

田丸
 まず人に興味を持ってほしいですね。コンピューターしか興味がない人、インターネットでしか情報をとらない人はジャーナリストに向いていません。人に会って、人のめんどくささ、なまなましさ、素晴らしさとかを感じてわくわくする感性さえあれば、誰でもジャーナリストになれると思います。もう一つ、少しひねって言いますと、そこにあるものをすべて疑って見る、ちょっと意地悪な斜に構えた精神も必要です。けれども、まずは好奇心ですね。人を好きになることですかねえ。自分と違う意見の人も好きになるということも必要です。また、ジャーナリストにはこれで終わりということはありません。一生学び続けることが大切だと思います。(了)