プログラム・マネージャーより

プログラム・マネージャーからのメッセージ

SEGAWA Shiro

早稲田大学 政治経済学術院
大学院政治学研究科 教授
瀬川至朗(Segawa Shiro) 

 日本のマスメディアは共通の課題を抱えています。

  大学を出て入社してくる若者を、どのようにして「一人前のジャーナリスト」に育てていくのか、という課題です。

 かつてマスメディアは、白紙の状態の新人記者を、取材の現場活動を通して鍛え上げる「オン・ザ・ジョブ・トレーニング(O.J.T.)」で良しとしてきました。例えば全国紙の場合、新入社員が最初に配属される地方支局のデスクや先輩記者が「先生」となり、実際の取材や執筆を指導してきました。しかし、彼らの指導方法は無手勝流であり、およそ体系だったものではありません。若手記者にしてみれば「先生」の当たり外れがあり、それが記者人生を大きく左右します。

 支局の仕事が多忙を極めて若手教育の余裕がなくなり、また徒弟制度的なシステムが現実に合わなくなった今日、O.J.T.がうまく機能していないことをメディア企業は強く認識しています。

 そもそも、これまでのO.J.T.は、「その企業の中での『一人前』」をめざす色合いが強く、限界もありました。真のジャーナリスト教育とはほど遠いものだったといえます。

 早稲田大学のジャーナリズムコース(Jスクール)は、真にプロフェッショナルなジャーナリスト教育をめざします。すでにメディア企業で活躍しているジャーナリストのリカレント教育にも役立つカリキュラムを構築していきます。

 プロフェッショナルなジャーナリストとは、事象を読み解く専門的な知識と実践的なスキル(取材・表現力)の両者をそなえつつ、その使命の公共性を強く認識した人物のことです。個として強いジャーナリストであり、組織を意識することなく、自由闊達な精神で縦横に活躍できるジャーナリストです。

 アカデミズムとジャーナリズムが深いレベルで融合できる大学院は、まさに、この高度専門職業人の育成にふさわしい場であるといえます。

 現場取材から真実に迫ることを旨とするジャーナリストは、決してカッコイイ職業ではありません。取材相手との駆け引きが必要なときもあれば、報道のために、それまで築いてきた人間関係を壊さなければいけないときもあります。体を酷使して地を這うような取材もします。

 なぜ、人はジャーナリストをめざすのでしょうか。

 社会の変化や人類の歴史的出来事をもっとも身近で目撃し、そして、その記録を人々に広く伝えていく醍醐味、だと思います。時代の目撃者となり、生き生きと書き、語る。ジャーナリストをそうした現場に導くのは、人間という摩訶不思議な存在に対する好奇心ではないでしょうか。

 ニューヨーク・タイムズの記者としてベトナム戦争を取材し、ピューリッツア賞を受賞したデイヴィッド・ハルバースタムはこう述べています。

 「私の主たる関心は、我々の時代はいかなる時代であり、我々は何者であり、時代の虚偽はどこからいかにして生まれ、戦争がなぜ起き、なぜ、いかに続かねばならなかったかを示すところにある。ジャーナリストとして同時代を検証しながら、我々の時代のドラマを書くことにある。それは同時に時代のアイロニー、時代のクライシスを書くことでもある。私が同時にジャーナリストであり、歴史家であり、劇作家であるというのはこういう意味なのです」(立花隆との対談「ニュージャーナリズムについて語ろう」での発言。立花著『アメリカジャーナリズム報告』=文春文庫=所収)

 ハルバースタムが指摘したように、優れたジャーナリストは、歴史家の視点と劇作家に匹敵する表現力を持たなければいけません。と同時に、時代の大局を読み解き、先行きを見通せる思想家でなければなりません。志を高く持つことは何よりもたいせつです。

 数々の歴史的出来事を間近で経験できるジャーナリストには、そうしたプロフェショナルな能力が求められます。

 私はJスクールのプログラム・マネージャーとして、研究指導、実習プログラムの組み立て、講義・実習授業、ウェブ編集長、インターンシップなどを担当します。

 熱意ある学生との出会いを楽しみにしています。