瀬川至朗

Jオピニオン


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瀬川 至朗 (SEGAWA, Shiro)

早稲田大学政治経済学術院教授

ジャーナリズムコース プログラム・マネージャー  
元毎日新聞編集局次長


 

なぜ、いまジャーナリズム教育か

 「危険な場所で撮影してまで、なぜ伝えたいと思うのですか」

 「紛争地では非人道的なことが沢山起きています。しかし、現地の人々は表現手段を持っていません。彼らの代弁者になれると思うからです」

 早稲田キャンパス8号館。月曜六限の「ジャーナリズムの使命」(J使命)という授業で、学生の質問に答えたのは、フリージャーナリストの山本美香さんだ。イラク戦場取材で知られるが、小柄で華奢な体つきは、戦場記者のイメージとかけ離れていて、驚く。

 山本さんの翌週の授業では、こんな質疑があった。 
 「原動力は何ですか」

 「『その人達のことを知りたい、その後を見たい』ということだと思います。記者という仕事にしていると、その地域だけではなく、他の地域はどうなのか、見るべきである、という目的意識が生まれます。それがジャーナリズム。経験が思考を作っていく。ああそうだったのか、ああそうなのね、と日々学んでいる状況です」

 早稲田大学は今春、大学院政治学研究科に日本初のジャーナリズム大学院となるジャーナリズムコースを創設した。専門知と実践的スキル、さらに高い倫理観を兼ね備えたプロフェッショナルなジャーナリストの養成が目的であり、誇りを持ってJスクール(J-School)と呼んでいる。

 「J使命」は、新カリキュラム(前期)の中心的な授業である。フリーランスの実力派ジャーナリストらを講師に招き、ジャーナリズムは何をなすべきか、ジャーナリストに求められるものは、について、それぞれ三~一回、ジャーナリズム論を展開してもらう。

 講師は、山本さんのほか、ノンフィクション作家の吉岡忍さん、客員教授(インサイダー編集長)の高野孟さん、テレビキャスターの田丸美寿々さん、外務省主任分析官(休職中)の佐藤優さんにお願いした。

 ジャーナリストは、しばしば何を尋ねるかで勝負が決まる。質問力が重要である。授業では講義後の質疑を重視した。質問の手が何人も挙がり、授業が二時間を超したことも数度ある。

 各講師の最終講義の日には、西早稲田バス停近くのビリヤード店で、ビリヤード台をテーブル代わりにした立食の懇親会が恒例となった。学生の質問攻めはここでも続く。

 小手先の技術ではなく、ジャーナリストの視点を学ぶ。次年度以降、授業内容をさらにパワーアップして、Jスクールの定番授業にしていきたい。

 早稲田といえば「在野」「反骨」であり、ジャーナリズムという印象が強い。それはいつ頃からだろうか。

 『早稲田大学小史』(島善高、〇三年)を開いたところ、一八九二年(明示二五年)の東京専門学校(後の早稲田大学)創立一〇周年祝典で演壇に立った田原栄の話として、以下のような記述があった。

 「一一九四名の卒業生のうち、新聞記者が八七名、官吏公吏が五七名、教員が三九名、会社銀行員が五八名、府県会議員が一六名・・・・」

 一〇年間で各方面に巣立っていった卒業生のなかで、新聞記者が最も多かったのだ。ちなみに、その志気と操行を「早稲田志操」と命名したのは、このときの田原である。

 ジャーナリズムに強いという開校以来の伝統は、石橋湛山や木下尚江、丸山幹治、馬場恒吾、緒方竹虎ら優れたジャーナリストを世に送り出してきた。

 最近でも、卒業生約一万二千人(判明分)のうち、毎年五六〇人~六五〇人が「新聞」「出版」「放送」「広告・制作」といったマスメディア企業に就職している(早稲田大学キャリアセンター調べ)。全学生の約五%という数字だ。

 日本のジャーナリズムの世界は、早稲田が席巻してきたと言って過言ではない。

 では、なぜいま、Jスクールなのだろうか。こんな疑問を持つ向きもおられるだろう。

 社会的背景の一つは、インターネットという新しい通信技術がもたらした、メディア世界の変容である。

 私たちは、新聞やテレビなど既存のマスメディアのジャーナリズム機能の衰退を目にしている。ネットの普及により、既存のメディア企業の広告収入が大きく減じ、屋台骨を揺るがしている。企業性が露わになり、視聴率や部数を意識したコンテンツがますます幅を利かせる。一方で、メディアスクラム(集団的過熱取材)や取材時のプライバシー侵害は、メディアに対する市民の不信感を増大させている。

 必要とされるのは、ジャーナリズムの基本をしっかり身に着け、企業の内外からメディアを変革できる人材だ。新聞「社員」やテレビ「局員」である前に、まず一人のジャーナリストとしての力を備えた人材である。

 もう一つの背景は、「専門ジャーナリスト」の欠如である。専門知識の細分化・専門化が進むなかで、専門知と市民をつなぐ公共的コミュニケーションの担い手として、ジャーナリストが果たす役割が増しているのに、その担い手がいない。格差、年金、介護、さらには温暖化や食料、エネルギーに象徴される地球環境問題などの分野で、自分の専門知を生かして能動的に取材に取組み、問題解決に向けての方向性を示す、構築的なジャーナリズムが希求されるのである。

 早稲田のJスクールは、こうした社会的背景のなかで誕生した。育てるべきは、二一世紀のメディア時代に活躍できる、「個」として強いジャーナリストであり、専門分野に強いジャーナリストである。専門ジャーナリストでいえば、現役の中堅ジャーナリストを受入れ、その専門性を高めていくリカレント教育(研修教育)も、Jスクールの大事な柱である。

 Jスクールの教育・研究は、もう一つ、大きな特徴を有している。アカデミズムとジャーナリズムの融合である。

 残念ながら、現実には、専門知と実践知はなかなかかみ合わない。言うは易く・・・である。ただ、良質のアカデミズムと良質のジャーナリズムは、その手法や思想において共通する部分が少なくないと感じている。

 重要なのは、アカデミズムとジャーナリズムの出会いの場を創出することだ。すでに、経験豊富な現役ジャーナリストの方々に、Jスクールの講師として来てもらっている。より多くのジャーナリストの人が早稲田キャンパスに気軽に立ち寄れる「Jカフェ」をつくり、大学教員や学生と語り合えるようにしたい。

 予定調和の融合なんてないだろう。対立、口論だってあっていい。互いにぶつかり合い、その衝突が激しく熱を帯びれば、超高温での「核融合」だって生まれるかもしれない。

 早稲田キャンパスを、二一世紀の新しいジャーナリズムを揺籃する場にしてきたいと考えている。

(『早稲田学報』2008年10月号 「早稲田の提言 ゲンダイを読む」第13回に掲載)