繰り返す危機、パンデミックに喚起されて
早稲田大学 名誉教授
佐藤 正志
 
 いま、この卒業式・入学式のシーズンに新型コロナウィルス対応で頑張っている、昨年まで同僚であった学術院の執行部の先生から、One Teamで戦えているのは3.11の遺産かもしれないというメールをもらって、また、危機は繰り返すものだと実感したという、別の職員の方からのメールとともに、ジャーナリズムコース(J-School)と伝媒大学の共催シンポのために降り立った北京空港で、恐ろしい津波の映像とともに大地震のニュースに釘付けになったことを思い出しました。
 
 そのような危機を眼前にして、科学技術ジャーナリスト養成プログラム(MAJESTy)から発展したJ-Schoolの意味をも再確認したものです。科学技術の発展によって作りあげられてきた文明の危機を伝えることは、専門家と市民社会の境界にたつジャーナリストの役割とは何かを問い続けたMAJESTyにとって存在を賭けた実践だったからです。
 
 J-School創設の理念は、教育プログラムの中に沈殿し、堆積しており、そこから育ったジャーナリストたちの実践において活性化されるものと信じています。いま、この危機においても、感染症についての疫学的理論と経済学や社会心理学等の学術的理論のあいだでいかなる哲学にもとづいて政策的決定をすべきかは、公共圏での批判的議論を通じてでしか答えは得られないはずですし、国際的な人的交流が物理的に阻害されたときにこそ、グローバルな市民社会が立ち上がらなければならないはずです。そのような公共圏やグローバルな市民社会の創造こそ、J-Schoolを創設した政治経済学術院の21世紀に向かう研究教育のヴィジョンだったのであり、そこから旅立つジャーナリストに託した使命だったのです。
 
 パンデミックによって私が直ぐに想起するのは、ツキディデスが『ペロポネソス戦史』において書き残した前430年のアテネの大疫病です。それは、やはり『戦史』に記録された、アテネのデモクラシーの輝きとそれを支える市民的徳を高らかにうたいあげたペリクレスの演説の行われた年のその翌年のことです。ツキディデスは、疫病に感染した人々の症状から、それが都市全体に感染してゆき、やがて人々のモラルを打ち砕き、ポリスの社会生活そのものを解体してゆくまでの過程を、きわめて詳細に、息をのむような情景の描写で報告しています。それは作り事を排して、因果関係を明らかにしようする方法と同時に、自由な市民の社会を成り立たせている人間的価値への強いコミットメントによってはじめて可能となったドキュメンタリーのように思えます。
 
 歴史的には、このツキディデスの調査・追究(ゼーテーシス)から歴史という分野が成立してきたように、ジャーナリズムの日々の調査・報道が歴史に連なってゆくことを、今日の危機は喚起しているのではないでしょうか。
(2020年3月16日)
 
2019年3月2日、3号館で行なわれた最終講義。テーマは「政治理論史の課題と方法—ホッブズの政治哲学を軸として」だった(写真提供:佐藤先生)
 
〔経歴〕
さとう・せいし
早稲田大学名誉教授
2019年3月、政治経済学術院教授を定年退職。在職中、大学院政治学研究科長、政治経済学術院長、早稲田大学理事を務める。
2006年9月に政治学研究科長に就任するとともに、科学技術ジャーナリスト養成プログラム(MAJESTy)の代表者を引き継ぎ、またその在任中である2008年4月のジャーナリズム大学院(J-School)の創設のために努力した。
 
同窓会報第11号記事
2020.3.20配信