福沢諭吉とブレヒトと……
元早稲田大学政治学研究科教員、元筑摩書房編集者
湯原 法史
 
近影(写真提供:湯原先生)
 
 私は勤めていた出版社を退職後の五年間、自らの体験を交えて出版業界の仕組みについてお話してきました。その間、とくに以下の二つの文章は、折に触れて反芻していたように思います。
 
 一つは、福沢諭吉(1835-1901)の「故大槻磐水先生五十回追遠の文」です。磐水は『蘭学事始』で知られる杉田玄白の高弟で玄沢ともいい、自らも洋(蘭)学の伸展に努めた人物です。福沢のその一文は、先駆者の偉業を偲びながら、同時に学問への心構えを語りかけていると思います。例えば、以下の条りです。
 
「名誉の為に勉強せん歟(か)、名誉を得れば勉強も亦(また)共に止(や)む可(べ)し。利財の為に刻苦せん歟(か)、利財を取るの後は又刻苦するを須(もち)ひず。名の為に非ず、利の為に非ず、正(まさ)に独一個人(どくいつこじん)の精神を発達せんが為に勉強刻苦する者にして、始(はじめ)て之を不羈独立(ふきどくりつ)の士と称す可きなり。」(『福沢諭吉選集』第十二巻、岩波書店、1981年)
 
 もう一つは、旧東ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)の「真実を書く際の五つの困難」と題するエッセイで、1934年に発表されたものです。その時、彼はヒトラー政権によって亡命を余儀なくされていたのですが、冒頭の一文もまた、時代を超えて、学問に携わるものを鼓舞しているのではないでしょうか。
 
「現在、虚偽や無知とたたかって、真実を書こうとする者は、少なくとも五つの困難にうちかたねばならない。真実がいたるところでおさえつけられているにもかかわらずこれを書く勇気を、真実がいたるところでおおいかくされているにもかかわらずこれを認識する賢明さを、真実を武器として役だつようにする技術を、その手に渡ったとき真実がほんとうに力を発揮するような人々を選び出す判断力を、そういう人々の間に真実をひろめる策略をもたなければならない。」(千田是也訳編『今日の世界は演劇によって再現できるか』白水社、1962年)
 
 いずれも短い作品なので、作者の歴史的背景などにも思いを巡らせながら読むと、いっそう深く切実な感興を呼びさましてくれるでしょう。この二つに、あえてマルクスの「職業の選択にさいしての一青年の考察」を添えれば、私の申し上げたいことは尽きます。
 
同窓会報第12号記事
2021.5.14配信