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田丸 美寿々 (Tamaru Misuzu)
ニュースキャスター
「女性とテレビジャーナリズム」
ニュースのインパクトでいえば、テレビの力は大きい。定時のニュース番組から朝・昼のワイドショー、情報番組まで、競ってニュースを素材にしている。玉石混淆にみえる番組のなかで、良質の調査報道番組として知られるのが「報道特集」(TBS系)である。そのキャスターを務める田丸美寿々さんには、ジャーナリズムコースのオムニバス授業「ジャーナリズムの使命」で講義をしていただく。フリーのキャスターとして活躍する田丸さんに、「女性とテレビジャーナリズム」についてインタビューした。(聞き手は瀬川至朗・早稲田大学教授、写真撮影はカメラマン、藤吉隆雄氏)

田丸さんがフジテレビに入社されたのは1975年でした。入社当時、報道現場で女性はどのように扱われていましたか。それに対する田丸さんの挑戦はいかがでしたか。
どのようにといわれても、当時は女性そのものの姿が報道現場にありませんでした。女性の記者もいなければ、カメラマン、キャスター、ディレクターもいませんでした。ただ、午後3時の奥様ニュースで生活情報を読む女性アナウンサーはいましたから、その方が今でいえば女性キャスターなのかもしれません。とにかくニュースを取材したり、ニュースに近い距離でかかわったりしている女性はいませんでした。
私は入社したときニュースをやりたいと思っていました。しかし、ニュースをやっている人はみんな、男の世界だと自負していましたから、女が入るということに、相撲の土俵に女が上がるぐらいに拒否反応とか嫌悪感を示す人がいました。
女の声でニュースを読んだって信憑性がないとか、女のくせにニュースをやりたいのは生意気だとか・・・。ネガティブな反応ばかりでした。
それでも言い続けることに意味がある。「継続は力なり」だと思います。現場に連れてってほしいとか、ニュースやりたいとか言い続けているうちに、少しずつ理解してくれる味方や先輩ができてきて、応援してくれるようになりました。チャンスも少しずつ与えてくれるようになり、入社4年目でようやくニュース番組にかかわれました。今思えば、あの時代があったから、私は今こうして続けられていると思うんです。
ちょうど女性に報道現場の門戸が開かれる過渡期に入社したんですね。もっと前だったらそんな重い扉はとうてい開かないと思って辞めていたかもしれないし、もっと後だったら、すごい先輩たちがたくさんいて、私なんか入り込める余地がなかなかなかったかもしれません。70年代から80年代はちょうど女性の時代といわれ、報道に限らず、いろんな分野で女性がかかわっていくところが広がっていって、毎日がすごく新鮮でした。今日できなかったことが明日できる、今日会えなかった人に明日会える、今日行けなかった現場に明日行ける――とか。日々開けていく感じで楽しかったです。
一晩中張り込んだりもしました。女だって粘るじゃん、女だって現場に行ってやれるじゃんと少しずつ思ってもらえるようになりました。そのうち、記者でもカメラの世界でもガッツのある女性が少しずつ出てきて、やらせてみたらとなってきました。そういっては何ですが、女性ってハングリーだから、がんばるんですよ。
私はあの頃、「男のように考え、レディーのように振る舞い、犬のように働け」というアメリカのキャリアウーマンのスローガンが好きで、私の仲間たち、友達といつもこの言葉を繰り返しながら、がんばっていましたね。
最初の扱われ方は確かにひどかったし、今でいえばセクハラもいいところの職場でしたが、それが少しずつ変わっていきました。量の変化は質の変化にもつながりますよね。少しずつ女性のかかわる範囲が広がってきて、女性が活躍する場が広がってきて、どんどんやっていく仕事の質も上がってきて。ですから、すごくワクワクした時代でしたねえ。とくに80年代は。
