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斎藤純一

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斎藤 純一 (Saito Junichi)

早稲田大学政治経済学術院教授

 

 

 

インタビュー [2008/02/28]

「日本社会とジャーナリズムの機能」

 かつて「一億総中流」と評された日本社会が変容し、「格差社会」という言葉で語られるようになった。社会のあり方をどのような視点で捉えたらよいのか、その社会の中でジャーナリズムの果たすべき役割とは何なのか。『公共性<思考のフロンティア>』(岩波書店)という著書のある齋藤純一・早稲田大学政治経済学術院教授に、「日本社会とジャーナリズムの機能」という観点でインタビューした(聞き手=瀬川至朗・早稲田大学客員教授)。

瀬川

斎藤純一「格差社会」と形容されるようになった日本社会の現状をどう見ていますか。

斎藤

格差社会という言葉は、一つのまとまりのある社会の中で不平等が広がっているということになりますが、実際はそうではなくて、社会の中に分断線が走っていて、「Aチーム「と「Bチーム」、日本語で「勝ち組」と「負け組」、ドイツの社会学者の言葉で「3分の2社会」と「3分の1社会」というような形になっていると言った方が正しいのではないでしょうか。

 失業者を中心にフリーターとかワーキングプアを含め、自分たちが社会の中で公正に処遇されていない、見捨てられていると感じる階層ができていることが問題です。

 日本では「自由」とか「正義」という言葉よりも「平等」という言葉により反応する傾向があります。日本のジャーナリズムは格差の問題にはかなり反応していると思いますが、重要なのは、社会から見捨てられているという人々の感覚を認識できているかどうかです。

 昨年の『論座』1月号にフリーターの赤木智弘さんが「『丸山眞男』をひっぱたきたい」という論文を書いてけっこう反響を呼びました。赤木さんは、就職氷河期を過ごした自分が、今の労働市場ではどこに行っても評価が低く、使い捨ての存在であると感じています。しかし、もし戦争が起きたら、国のために命を捧げる人ということで違った評価軸が赤木さんに提供される。戦争が起きた方が自分にとっては良いんだという挑発的な論文だったんですね。結論への持って行き方がいいかどうか非常に問題がありますが、彼に代表される、「社会の一員としてまともに扱われていない」と感じる人がでてきていることが、公共性の観点からは非常に重要だという気がします。

瀬川

社会から見捨てられる人がでてきている。そうした状況の中でジャーナリズムの機能というものをどう考えますか。

斎藤

ジャーナリズムの機能は二つあると思います。一つは、批判的な公開性です。権力を監視、監督し、必要な情報を積極的に市民に提供していく機能です。こちらを「批判的機能」とすれば、もう一つは「構築的機能」です。社会の中の重要な争点を公共のものにしていく役割です。争点を発見し、それを公共的な意見形成のアジェンダとして承認し、市民に伝えていくのです。

 誰もが問題だと感じるテーマには自ずとフォーカスが当たりますが、重要だけれどもまだ十分にフォーカスがあたっていないものに光をあてていく役割がジャーナリズムにはありますね。例えば性的マイノリティーの問題などが挙げられます。ゲイはある程度認知されていますが、レスビアンは公的には認められていません。こうした問題を、婚姻制度はそもそも維持すべき規範なのかどうか、その是非を含めて課題として取り組んでいく。短期的な取り組みだけでなく、周辺化されている問題意識に積極的に光をあて、長期的な課題としてたゆまず努力していくことが求められると思います。

 短期的といっても短期だけの問題ではありません。格差社会での生活保障のあり方が注目されていますが、その際、社会保障の制度そのものを根本から考えていくことが重要です。その財源として消費税あるいは保険方式が考えられていますが、そもそも、社会保障は、就労による所得を補助する役割なのかどうかを問うことができます。大胆な考え方としては、すべての人に生活保障としてベーシック・インカム(参加所得)を与えるという構想もあります。ベーシック以上の所得を得たい人は労働市場に出るという考え方です。

 ジャーナリズムには、どういう制度構想があるのか、可能なのかを検討しつつ、大きなオールタナティブがどこにあるかを提示してもらいたいですね。

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